初めてネパールを訪れたのは5年前に遡る。
日数が5日間と限られていた為、その時は首都カトマンズだけを訪れることにした。
カトマンズ
何故かその響きにずっと心惹かれていたからである。
バックパッカーの有名な聖地の一つとして知られていたからか、或いは以前何かの本で目にしていたのかも知れない。
街や地名には何か音色のようなものがあってそれが時に私の心をくすぐるのである。
心に響く街の名
カトマンズ以外で言えば次のような街の名前が挙げられる。
カサブランカ
香港
サウサンプトン
バンコク
サイゴン
ブエノスアイレス
グラナダ
サンディエゴ
シンガポール
それらの名前からは、何か物語が今にも出てきそうな気がするのである。
無論どの街にも、どの人の人生にも物語があるのだけれども、そこにある、或いは過ぎ去った物語には何か哀愁や憧れのようなものを感じずにはいられないのである。
そういう訳で、その憧れの音色の一つ、カトマンズを訪れることにしたのである。
同じホテルに四泊予約滞在して、半ば押し売りのような強引なローカルガイドにダンバール広場を案内されながらも、それ以外はほとんど誰とも喋らずに黙々と歩き回っていたのを覚えている。
そんな内心はどうだったろうか?
そう、旅人は一人で旅立ち、結局のところ最後は誰かを求めるのである。
群衆の中の孤独
三日目の夜、ふらりと喧騒を求めて立ち寄ってみたクラブに入ると、そこは大勢のツーリストの熱気で溢れかえっいた。
私の足を踏んだことすら何ら気にも留めない、或いは気づいてさえいない白人男性が私の前を通り過ぎるのを眺めならが、そこがこの数日間一人で街を彷徨っていた私にとっては何と場違いな場所なのかと思い、早々にその場から立ち去ることにしたのである。
静寂な夜の談笑
静かなルーフトップバーから、街を見下ろして見ようか・・・
そう思って歩いていると、賑わしい通りに面していながら、それでいて閑散としているレストランがあるのが見えた。
少しだけ通りを奥に入り、上を眺めるとルーフトップバーがあるではないか。
数日間を一人で黙々と歩き回って、さらに白人男性にさっき足を踏まれたばかりの私にとってはうってつけじゃないか。
上に上がってみて、もし期待はずれなようなら引き返そう。
それでもやはり少しの期待を覚えながら、錆びた鉄の階段を登り切ると、そこにはこじんまりとした、まるで小さな家の一部屋みたいな店舗を構えたルーフトップバーがあった。
通りを見下ろせる端のテーブルに座ると、店員が注文を取りに階下からカンカンと音を立てて駆け上がってきた。
23歳ぐらいだろうか。
ショートヘヤーで少し浅黒い、それでも私よりは白い肌をしたネパール人女性らしい。
とりあえずローカルビールを注文して始まり、それからは居酒屋みたいにおつまみやカクテルをちょくちょく追加注文しつつ、その女性とテーブルに向かい合ってしばらく話すことになった。
何を話していたかはもう覚えていないが、覚えていないようなたわいのない内容であったと思う。
店員さんとマンツーマンで話すこと二時間ほどが過ぎて、そろそろ帰ることにした。
ちびちび粘る客は嫌われるし、相手が女性なら尚更だろう。
お会計を済ませてから、また来ると言ってバイバイすることにした。
翌日、昨夜の口約束通りお昼にその店を再び訪れると、今度は隣の店でコーヒーを飲むことになった。
私が誘った訳ではないように思う。
昼食を食べた後に、なぜ二人でコーヒーを飲みに行ったのかは覚えていないが、彼女はそこでスイーツを食べていた。
その店でテレビを見ていると、彼女の友人がそこにやってきて、私にネパール語で話しかけてきたのを確かに覚えている。
ドバイへ戻る帰国の日、最後の朝にその店を訪れると、彼女がキッチンから出てきてFacebookの連絡先を教えてくれた。
男は馬鹿であり、私はその中でもさらに先鋭な心を持つ純度の高いタイプである。
思わずアメリカ人みたいにハグしたくなったのを覚えている。
何故かって?
それは生涯もう二度と会わない可能性が高いからである。
それが若く美人の女性であったことが理由であるのは言うまでもないのだけれども・・・。
それから数日後だっただろうか? 或いは数ヶ月した後だっただろうか?
彼女からFacebookのメッセンジャーでメッセージが届いた。
それは「元気?」といった具合のありきたりのメッセージから始まり、家族や両親の話、そして最後に「うちの両親に会いに来てもいいよ」というのである。
そういう類のメッセージが、その後も鈍感な私に何度か送られてきたのを覚えている。
当時の私は、その意味を全く理解していなかったけれども、あれはもしかしたらそういう事だったのかなと振り返ってみて思う。
人は世界に無数に存在して、その中でまるでオブジェみたいにすれ違うだけの人たち、顔を見知る人たち、そして深く繋がる人たち。
本当に深く繋がる人がいたならば、それはもう運命と言っていいのかも知れない。
人はその瞬間にだけ生きて、すれ違った次の瞬間にはもうどこか手の届かない遠く彼方に去っていく。
人は誰しもその姿形を変え、心とて例外ではない。
あの時彼女をハグをしたかったのは、私の無意識がそれを察知していて、どことなく寂しさを覚えさせたからだったのかも知れない。
人は瞬間にだけ生きて、次の瞬間にはもう何処かへ消え去っていってしまうのだから。